恒例行事にした覚えは無いのですが、ブログ更新が年に一度ペースになっているのは、ご了承くださいませ。
”ブログ書いてる時間があるんなら、被災資料の処置を早くやれ”とか”ブログ等で現状を発信しないと、なにやってるのかわからない。本当に処置しているのか?”等のクレームは、現段階では、聞き流させていただきます。
自宅救済の文は、歩幅は小さいけれど、一歩一歩(一枚一枚)着実に処置は進んでいます。
魚藍観音も、やっと塗りに進める段階まできました。
が・・・時間が足りない・・・^^;;;
さて、「暦の上ではディセンバー」でございます。
2013年もあとわずか・・・
12月は、被災写真の洗浄・返還で大きな動き(?)がありました。
社協で行われている写真洗浄・返還事業は今年度いっぱいで終了という発表もありました。
3月までに一枚でも多くの思い出の品を持ち主さんに帰すため、エンジン全回で走っております。
11th December 2013
東日本大震災が発生して2年9ヵ月のこの日。
大船渡市の「思い出ハウス」に拾得された写真(紙媒体含む)を全て洗浄し終わりました。
(※注意!!あくまでも”「思い出ハウス」に拾得されたモノ”のみです。大船渡市で被災した全ての写真を洗浄し終わったわけではありません。今でも、二次選抜場より被災写真等は持ち込まれています)
”洗浄が終わった”という言い回しが誤解をうみやすいという事で、メディア等には発表されませんでした。
ですので、思い出ハウスに拾得され2年9ヵ月目でやっと洗浄される事となった写真はひっそりと洗われました。2011年4月12日、ボランティアで始めた写真洗浄。
この日から今までず~っと一緒に活動してきたMはんと一緒にひっそりと洗浄しました。
「思い出ハウスに拾得された被災資料」については、「最後の一枚まで洗浄」という目標は達成できました。
しかし、今だにどこかにあるであろう写真を考えると、そしてまだ家族の元へ帰っていない写真の事を考えると”達成感は、無い”です。
例えて言うならば、”長くて足場の悪いきつい階段を上っている途中に踊り場を見つけて、そこにたどり着いた”という感じでしょうかね。
写真や他の思い出の品は洗浄しましたが、「洗浄できないモノ」が一つ。冷凍庫にぽつんと残されておりました。
忘れもしない・・・8th September 2011
この日思い出ハウスで、「小さい茶色い巾着袋」が拾得されているのを見つけました。
あまりに小さくて、危なく見落とす所でした。
なにか不思議な感覚を覚えたので、開けてみたら・・・
小さなプラスチックの箱が2個。そのうちの一つは、箱の蓋が割れておりました。
手がかりも書いてありました。
持ち主さんに帰せるかは、あの当時ではなんとも言えない状態でした。
しかし、モノがモノだけに、「時間がかかってもいいから絶対に帰す」という
強い思いは全員にありました。
その後、大型冷凍庫に入れて持ち主さんが現れるまで保管する事としました。
小さな巾着袋は、大きな冷凍庫の中で大きな写真アルバム達に潰されないよう、迷子にならないよう
常に一番上に置いておきました。活発な巾着袋なので時々、下の方に転がって行く事もありましたが、そのたびに冷凍庫の中の「目立つ所」へ上げておきました。
居場所も、大型冷凍庫から小型冷凍庫へと、何回か引越しもしました。
どんどん洗われて帰っていく写真達を最後まで見送っていた巾着袋・・・
そのたびに「まだ、お迎えがこないね・・・」とおもい続けて2年9ヵ月・・・
返却班のスタッフより「帰るかも」という報告が!!!!!
地道は捜査により、親戚にたどり着き、同時に元スタッフから持ち主さんであろう方の住所と名前が判明したのです!
震災から2年9ヵ月と15日目に、小さな茶色い巾着袋に入った小さな2個の小箱は、家族の元へ帰っていきました。
2013年最高に!!!!!!!嬉しい出来事でした・・・
でも、まだ家族の元へ帰りかねている写真達がたくさんいるので・・・
手放しでは喜べません。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。